蛸と鉄板②

たこ焼きが先か、たこ焼き用の鉄板が先か、の議論の続き。

まず、
●「たこ焼きが先」説は、たい焼きの誕生過程を想像するとスムーズだ。

たい焼きは「鯛の形をした菓子を作ろう」という意思の元にあの鉄型が作られたことがよく解る。
雑に言ってしまえば、今川焼を鯛の形にしようとしたら生まれた食べ物だ。
だからたこ焼きの場合は「何かしら丸い形の食い物を作ろう!」と思ってあの型をデザインして、工場で鉄を溶かして鋳造したのだろう。

現に、たこ焼きの前身と言われている「ラジオ焼き」という食べ物は、形こそたこ焼きだが、中にはこんにゃくが入っていたという。

そう、初めはただ丸い、ということだけがトピックの食べ物だったのだ。

長く続いたお好み焼きの「円形」というマンネリを打破し、「球体」という、三次元的なアプローチに出た、その形状こそが肝なのである。
中身はこれまでコンニャク、牛肉、海老のすり身など様々な食材が試され、最終的に不動のセンターとなったのがタコである。
タコも自分の立ち位置はよく解っている。タコ焼きというグループから出た途端、一気に見向きもされなくなる。自分はあの球体の中でこそ人気者なのだ、ということを、タコは知っている。
つまり、たこ焼きとはフォルムが命、ハコ推しこそが正解なのだ。
うむ、実にしっくり来る理論だ。

では、
●「鉄板が先」説だが……実はこちらも捨てがたい。

というのも、タイ焼きの型はどう考えてもタイ焼きにしか使えないのだが、たこ焼きの、あの半球体の鉄型というのは、以外と汎用性が高そうで、そこが怪しいのだ。そう、実は諸説ある。

例えば、たこ焼き用の鉄板によく似た型を使って、江戸時代後期から大正時代初期まで、明石付近で爆散式の砲弾に入れる鉛玉を鋳造していたという説がある。
※爆散式の砲弾 = 目標に着弾すると中の火薬が反応して二次爆発を起こす砲弾。ガラスの欠片、釘、鉄粉、石などが入っていた。

おいおい、たこ焼き器で大砲の散弾を作ってたとか、バカにすんなよ、と、にわかには信じ難い話だが、実は鉄の融点が1500℃なのに対して鉛は300℃ちょいで溶けるので、溶けた鉛を流し込むのは全然不可能ではない。
しかも鉛は液化すると、ちょうど、水に溶いた小麦粉のような粘性を持つので、本当に、たこ焼きを作るような手順で、長~い鉄のくくり棒で、くるくるっとやって、鉛を球体に加工していたという。

敗戦後のどさくさの中で鉄型は人から人へ、闇市を流れていったが、「鉛くくり職人」の一部が調理器具として転用することを思いつき、たこ焼き屋の前身を作ったという。

ちなみに当時は物資が乏しく、うどん粉を水で薄く伸ばした柔い団子のようなものを作ることしか出来なかったそうだ。
大阪の各地では現在もその頃からの鉄型を保持し続けているたこ焼き屋もあるという。

まぁ、あくまで一説だ。

さらにここに、わたし個人の研究と見解による第三説を加えようと思うが………

それはまた、次回。